変わるべきところは変え、守るべきところは守る。

めっきの技術で、滑らかな未来を作りたい。

2018年4月、私は高木特殊工業に入社致しました。

それまで工作機械+金属加工業界に長い間身を置いてきました。主に海外を拠点とし、北米、欧州の一部、東南アジアの市場でエンジニアとして、営業として、1990年代から本当に多くの国内外のみなさまと一緒に仕事をさせて頂いて来ました。

時代は折しも大変革の時。乗り切る答えは、過去にも周囲にも成功事例の無いほどの時代。私たちは、こんな時こそ私たちの強みを、更に高めて行きたいと思っています。

 

私たちの強みは「潤滑性能の高いめっき」を施す技術があることです。この技術で、物と物との「摩擦が少なく」「摩耗が少ない」「滑らかな」世の中にしたいと思っています。

また、創業当初から続いております硬質クロムめっき(厚付けめっき)も、今よりもっと良いものを提供させて頂けるよう、更なる改善活動を続けて参ります。

昨日よりも”良くできた”仕事と自分を感じたとき、嬉しくなった瞬間や少し自信が増した喜びをスタッフとお客様と一緒に分かち合いたいと考えています。

これからも、社会から必要とされ続けるためにめっきの達人集団を目指して行きます!

代表取締役 高木 恒

代表者のプロフィール

1966年 愛知県豊田市生まれ。
1978年 小学校6年~中学2年生くらいまでは、体が小さく背も低かったので、いじめられっ子でした
1981年 中学3年生の時、陸上部キャプテンを経験。
1984年 高校3年生の時、生徒会会長と、バトミントン部キャプテンを経験。
1987年 大学3年生の時、バトミントン部と、応援団親衛隊を掛け持ち。
伝統ある東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の応援も経験。
1999年 地元愛知県の機械メーカーに就職。
工作機械の製造、販売(海外)、メンテナンスを経験。
バブル崩壊の厳しい時期も経験。
また、20代後半、英語もしゃべれないのにアメリカ駐在。
挫折と失敗の連続で、とても苦しんだ時期。そこを乗り越え、少し天狗になったところで、上司と喧嘩し、降格・左遷も経験。
この経験が、いまの自分の基礎となるほどの、色んな事を勉強させてもらった、大切な時期たっだ。
2005年 地元のツーリングメーカーに転職。
アジアを中心に、営業として、各国のローカル代理店と一緒に、中国、東南アジア、インドと、さまざまな国の現場で汗をかかせて頂けた。
ここでも幾度となく挫折し、失敗し、成果も出なかったこともあったが、現地のいろんな人たちに助けられ、感謝し通しの13年間を過ごした。

 

どうしてこの会社を引き継いだのか。

会社の創業者である伯父と、そのご長男(従兄)から、会社継承のお話しを頂いたことがきっかけ。

また、日本で最初のPTFE(テフロン)複合無電解ニッケル-りんめっきを、自動車部品向けに量産対応した会社であったことも、大いに興味が沸き、会社を引き継がせていただく事を決めました。

その他にも、現在の工場、自宅の土地は、私の祖父と祖母が開梱し、創業者一家はじめ、私の父達が大切に守り続けた場所です。

世の中も変化していく中、環境にも、今まで以上に配慮をし、変わるべきところは変え、守るべきところは守り、スタッフのみんなと一緒に、会社を発展させてゆきたいと思います

この会社で何をしたいと考えているのか

創業者が築き、先代の社長が守って来られた、我が社の技術を守りつつ、いままで以上に自然環境、地球環境に配慮した、環境配慮型のめっき屋を目指し、更なる技術力の向上に努めます。

そして、世の中の『摩擦でロスする』様々なエネルギーの低減を、潤滑系めっきにより、いろいろな分野のお客様へ、支援できる会社に、してゆきたいと考えています。

この先どのような目標があるのか

我が社のめっき技術の向上もそうですが、現在の日本の食糧自給率は、この数十年で減少し続けており、我が国の子どもたちの将来にとって、現在の章句量自給率の数字は、安心できる数値ではないと感じます。

農林水産省のホームページには、令和12年度までに、カロリーベース総合食料自給率を45%にする方針が書かれていました。ここにも我が社として協力できる事がないものかと、考えています。

趣味や特技

趣味はゴルフ。東南アジア時代は、5日で7ラウンドするほどのゴルフ好き。
ほかに愛車でドライブ。